小早川秀秋の妄想と検証
通称 金吾中納言、筑前中納言とも呼ばれております。 出生や経歴などはここでは記載しません。 wikiなどで御確認下さい・ この人物を知らない戦国ファンはいないと思います。 西軍ファン、豊臣家大好き人間からしてみれば、 これほど腹の立つ人物はいないでしょう。 また、東軍ファン、家康大好き人間から見ても、 それ程好感のもてる武将ではないかと思います。 ある意味、時代背景、人間関係に恵まれずに不幸な形で、 地位が上がり数奇な運命をたどる若者の武将でしょう。 小早川秀秋の関ヶ原当時の動き、関連した人物の 事などを、色々と検証と妄想をしていこうと思います。 あくまで筆者の個人的な妄想で書く事ですので、 歴史的な裏付け、確認等はしていません。 全くの妄想です。 もしも共感できると思って頂ける事項が有りましたら 嬉しい限りです。 |
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妄想其の一 小早川は西軍を裏切ったのか? | |
裏切って無いと思う。元々東軍であった。では何故西軍と共に動いた?伏見攻めは? 時の流れで、毛利本家が西軍の総大将となり、家康につくとは言えない雰囲気だった。 優柔不断な秀秋は、流されるまま伏見を攻めてしまう。 伏見攻めを拒否すると言う事は、あの時点(大坂城)では言えなかった。 もしもあの時点で言っていたら、殺されていただろう。殺されなくとも幽閉されていただろう。 |
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妄想其の弐 松尾山無血入城 | |
これが非常に色々な思惑が有ります。まず伊藤さんは脅して立去らした。 脅されて立去られた伊藤さんは石田さんに告げ口しますよね。「金吾に脅されました」 ここで石田さんはどう思ったのでしょう? ここの辺りを色々と妄想してみたいと思います。 ○通説では西軍は家康を関ヶ原で待ち構えた。 嘘です。あり得ません。伊藤さん脅されて、松尾山追い出されて三成に告げ口してるんですよ。 でも、三成は超人的な感性の持ち主で、自分の言う事は全て正しい。 また人は自分の思い通りに動き、自分を崇拝しているとまでに超ナルシストだったのかも 知れません。何もかも自分の思い通りになる。金吾は西軍として松尾山に入った!!! まぁ輝元を入れるつもりだったから、金吾でもええかwwwとこんな感じだったかも知れません。 もしもそうなら、三成はかなりのアホです。 ○金吾が松尾山に入って鶴翼の陣が出来ると三成は狂喜した。 三成が本当のアホなら狂喜したのかも知れません。 でも頭が回りすぎて他人の意見も聞かずに、自分の理想を追求するナルシスト ならやはり、他人から見るとアホなんでしょうが、当時三成にアホと言える人間が 回りにいなかったのでしょう。 ○金吾は関ヶ原へは西軍としてやってきた? 本当は東軍として関ヶ原にやってきた金吾。 しかし表面上は西軍として来たのは事実だと思います。 関ヶ原にやってきて 「でへへっ。おれ実は東軍なんだよ。でへへっ^^;」 こんな感じなら即刻、大谷に殺されているはずです。 それに自軍でも金吾に反対して見切りをつけ(こんなアホと命のやり取り出来るか!)、 小早川軍を離脱する者も現れたかもしれません。 ○金吾の横暴を唯一阻止できる人間がそばにいた? 金吾の松尾山入城を阻止できた可能性のある唯一の人物は大谷吉継。 大谷は金吾にごまかされたか嘘を突かれたのではないでしょうか? 私は金吾が大谷をごまかしたか嘘をついたとしか思えません。 ごまかされた大谷は激しく激怒!!!!!!! 関ヶ原合戦当日は、東軍なんて関係無い。取りあえず金吾が降りてきたら 首を取る。敵であろうと見方であろうと関係無い。取りあえず敵は金吾。 このように関ヶ原当日は思っていたのではないでしょうか?事実大谷は 松尾山の金吾に対して、敵意丸出しに陣を敷いております。関ヶ原合戦は まるで興味が無いようです。自分の敵は金吾のみ。家康の首より金吾の首。 ○金吾は大谷をだました? 松尾山に登る前に、金吾は大谷に挨拶に行きこう言いました。 金吾「でへへ^^。大谷さんおひさ〜^^。あそこ(松尾山)良いね。 ねぇねぇあそこの郭に入ってもいいかな? あそこなら大谷さんの後ろに僕が居るんだ!と言う敵に対して すっごーーーいプレッシャー掛けれると思うんだ。 だからさ、松尾山の郭の入ろうと思うんだけど良いかな?」 大谷「それは良い案だな。金吾は何時も頭が悪いと思っていたけどwww たまには良い事を言うじゃないか!」 大谷は金吾が自軍の影響下に入る物と何の疑いも無く、金吾の松尾山布陣を 暗黙で許しました。三成には内緒で。 でも金吾は大谷との約束を破り、本丸を含む松尾山を占拠してしまったのです!!! 大谷は激しく激怒しました!!! 伊藤君は泣きながら松尾山を下りてきました。「金吾にいじめられたよぉ。><」 伊藤君は急ぎ、大垣へ戻り金吾にいじめられた事を三成に伝えました。 大谷の怒りは頂点に達しました。見送らなければ良かった。 三成になんと言えば良いのか・・・・・ 金吾と俺の会話は全て葬り去ろう。大谷は心で決めました。 自分しか金吾を止めれる人間はいなかったのに・・・・・ あんな単純な嘘に引っかかるとは・・・・・・・ もしも翌日に関ヶ原合戦が無かったとしても、大谷VS小早川の戦いは 翌日には起こった様に思います。 ○金吾が関ヶ原で「実は東軍なんだよでへへ^^」と大谷に言っていたら? 関ヶ原合戦の前哨戦が行われました。 金吾(15000)VS大谷(連合軍) 数の上では金吾が有利ですが、松尾山には伊藤君も健在です。 また、裏切りで有名な4将も脇坂以外は、大谷連合として金吾と戦ったと思います。 数の上でも引けは取らないと思いますので、秀吉より「100万の兵の采配を取らしたい」 と言われていた大谷吉継。 「でへへ^^。」これが口癖の金吾。 勝敗は火を見るより明らかかと。 ○関ヶ原合戦を野球で例えたら? 県営関ヶ原野球場より中継。 アナウンサー「勝利チーム監督のオールイースト徳川監督に来て頂きました。 おめでとうございます。今日の勝因はズバリなんでしょう?」 家康「福島君も頑張ってくれたが、明石の速球に随分押されていたからなぁ。 黒田君の敵サイン盗み取り、藤堂君の盗塁、隠し球も良かった。 しかしハラハラしたがやはり小早川君の決勝打だな。」 アナウンサー「見事な裏切打いや決勝打でしたね!!!」 家康「失礼な。彼は元々れっきとした我がチームの一員じゃよ」 アナウンサー「これは失礼しました。オールウエストのユニホームを着ていたように 見えていたのですが、行き成りのFA宣言には驚きました」 家康「まだ初戦を突破したに過ぎません。これより2回戦、3回戦、決勝(大阪球場) まで気を抜けませんからなぁ」 家康監督はこの時点では初戦を突破した位にしか思っていなかった。 しかし実はこれが決勝戦であり、残りゲームは佐和山球場での練習試合のみで 東軍が既に優勝していた事には家康監督はじめ誰も気がつかなかったのである。 |