」の武将直江兼続

生誕 永禄3年1560年
死没 元和5年12月19日(1620年1月23日)
官位 従五位下山城守
お船の方
  家康へのラブレター(直江状)
  NHK大河ドラマ「天地人
まず、「愛」とはLOVEでは無いと思います。LOVEと理解されている
のも宜しいかとは思いますが、軍神の愛染明王か愛宕権現などから
とったと言う見方が大半なんですよねぇ。

関ヶ原合戦までは、陪臣の身でありながらも米沢30万石の大大名
秀吉からの引き抜き行為にも耳を傾けず、上杉景勝の家臣として
忠誠を尽くした義理人情の熱い人。
生涯、当時の武将としては珍しく、側室を持たずに正室の「お船」と
仲良く過ごしていた。お船に対しての気持ちを兜に表現した訳じゃ
無いでしょうけどね。

閻魔大王への手紙
あるとき、兼続の家臣(三宝寺勝蔵)が下人(五助)を無礼討ちし た。すると、その五助の遺族たちが兼続に
「あれの粗相は何も無礼討ちにされるほどのものではなかった」と訴え出た。兼続が調べてみると遺族の
訴えの通り だったので、兼続は家臣に慰謝料を支払うように命じた。しかし遺族たちは下人を返せと言って
譲らない。兼続は「死人は生き返らないのだから、慰謝料で納得 してくれないか」と言ったが、遺族たちは
あくまでも下人を返せと言い張る。すると兼続は「よしわかった。下人を返して取らそう。だが、あの世に遣い
にやれ る者がおらぬゆえ、すまぬがそのほうたちが行ってくれぬか?」と言って遺族3人の首をはね、その首
を河原に晒してその横に立て札を立て、そこに「この者ど もを使いに出すから死人を返せ 慶長二年二月七日
 直江山城守兼続判」と閻魔大王への嘆願書を書いたという。
※愛LOVE愛LOVEの今をときめく『天地人』ではこの逸話は絶対に脚本には無いでしょうね。
これを流せば愛LOVEのイメージがかなり消えますよね。
政宗VS兼続@
景勝の代理として大坂城に上った際、伊達政宗が同席の諸大名に「めずらしいものを」と天正大判を回覧した際、
素手ではなく扇子で受け撥ねるようにして表裏を見たという。政宗は、兼続が陪臣で あるために遠慮していると
思い「山城、手にとって見るも苦しゅうないぞ」といったところ、兼続は「冗談召さるな。不肖兼続の右手は戦場に
あっては先代・上 杉謙信の代よりの采配を預かるもの。左様に不浄なものを触れるわけには参りません」と政宗
の膝元へ投げて返したという。
これこそが兼続の真骨頂と言うか、こう言う骨太なイメージが兼続は強いように私は思います。
これは『天地人』では思いっきり放送するように思いますね。
政宗VS兼続A
後年、江戸城内 で伊達政宗とすれ違った時、兼続は知らぬ顔で会釈をしなかった。政宗が「陪臣の身で
大名に会釈せぬとは無礼ではないか」と咎めると「これはご無礼いたしま した。これまで兼続は中納言様
(政宗)とは戦場で相まみえる間柄だったゆえ、(戦に負けて逃げる)後姿しか拝見した事がなく、お顔を存
じ上げませんでし た」と慇懃に答えたという。
この逸話は・・・・・マジかよ。と言う感じですが、私の思うにはかなりの確立でありえないと思います。
でも『天地人』では放送しそうに思いますね。
wikiより

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