2004年9/18 9/19関ヶ原キャンプオフを開催しました。
この時から戦国倶楽部のオフ会雨伝説が・・・・・・・・・


集合場所の大垣城

参加者で記念写真

南宮大社参拝

南宮山の西軍の陣後を見学する予定
でしたがあいにくの雨で中止しました。

家康最初の陣桃配山

笹尾山の石田三成陣跡

雨で陣後めぐりは余り出来ません
でしたが関ヶ原キャンプ場へ

BBQの準備

BBQ後はビンゴゲーム大会をしました

雨が上がりコテージから出て
もう一度表で飲みなおし。
翌朝はキャンプ場から一路彦根へ

佐和山の前に有る不思議な建物

偽者?佐和山城?

彦根港から竹生島へ船から見た彦根城

約40分の船旅の後竹生島へ到着
結構長いと言うか琵琶湖は広い。

竹生島神社参道の急な階段

三重の塔は本来、お釈迦様の遺灰を納めた
仏舎利塔を形どったものです。平成12年5月、
当寺では江戸時代初期に焼失したと言われて
いる「三重塔」を、約350年ぶりに復元いたしました。

この塔は、古来の工法に基づいて建築されています。
四本柱に32体の天部の神々を描き、また、四方の
壁には真言宗の八人の高祖を配しています。

各柱や長押にはうんげん彩色や牡丹唐草紋様が
描かれています。
これらの装飾は、昔ながらに岩絵の具を膠水で
溶いて描いているため、耐久性に欠け剥落もしやすく、新しい色合いにて見ていただけるのもこの新築時
しかないものであります。
また、この塔も以上の条件により普段は内部公開
できないものであります。

竹生島宝厳寺は、神亀元年(724年)聖武天皇が、
夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。
その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。
すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」
というお告げを受け、僧行基を勅使としてつかわし、
堂塔を開基させたのが始まりです。

行基は、早速弁才天像(当山では大弁才天と呼ぶ)を彫刻し、
ご本尊として本堂に安置。翌年には、観音堂を建立し、千手観音像を
安置しました。
それ以来、天皇の行幸が続き、また伝教大師、
弘法大師なども来島、修業されたと伝えられています。
当山は、豊臣秀吉との関係も強く、
多くの書状、多くの宝物が寄贈されています。
慶長七年(1602年)には、太閤の遺命により、
秀頼が豊国廟より桃山時代の代表的遺稿である観音堂や唐門などを
移築させています。

竹生島神社
この後彦根へ船で戻り遅い昼食後
解散となりました。

関西組みは帰りに安土城址へ立寄り
大手門へ続く見事な石段

天守後

暑さで昨日の酒も全て汗で消えました。

帰りは凄く怖い石段です。
登城される方はこけないでください。


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