株式会社豊臣ホールディングス
太閤秀吉亡き後の豊臣政権の組織図を現代の会社風に表してみました。筆者の完全な妄想であります。
豊臣ホールディングス役員 | ||||
取締役副社長 徳川家康 |
専務取締役 前田利家 |
専務取締役 毛利輝元 |
常務取締役 上杉景勝 |
常務取締役 宇喜多秀家 |
取締役総務部長 浅野長政 |
取締役社長室長 石田三成 |
取締役経理部長 増田長盛 |
取締役経理部長 長束正家 |
取締役朝廷担当 前田玄以 |
東北方面 ※社名の()は豊臣の資本比率 | |||||
主な会社 上杉(30%)独立系 伊達(50%)独立系 最上(30%)独立系 直江(80%)豊臣系 南部(30%)独立系 |
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株式会社上杉金属 代表者 上杉景勝 豊臣HD常務取締役兼任 1597年に社長上杉景勝が東北支社長に任命されて新潟より移転する。 同時に豊臣が増資を引き受け時価総額120万石となる。 奥羽地方の掌握と徳川HDへの牽制もかねていたと思われる。 |
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株式会社伊達米穀店 代表者伊達政宗 敵対的TOBにて東北方面にてかなりの買収を行い、一時は時価総額が100万石を越えていた。 小田原事件にて倒産の危機に直面する。その後、会社更生法を申請。一時は倒産の危機に陥るが、 豊臣の資本参加により地元宮城に戻り経営再建をする。 |
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株式会社直江牛肉店 代表者 直江兼続 株式会社上杉の会津移転に伴い、米沢支店として新設。資本金は豊臣が出す形となるが、 直江兼続が支店長兼任で代表者となり、上杉からも若干の資本が入る形となるが実質的には 豊臣直営の子会社と言う形となっている。 |
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関東方面 ※社名の()は豊臣の資本比率 | |||||
主な会社 徳川(20%)独立系 佐竹(20%)独立系 結城(70%)豊臣系 | |||||
株式会社徳川HD 代表者 徳川家康 豊臣ホールディングスの代表権を持つ副社長。 元々は東海地方の小さな会社であったが、代表者のしたたかさにて、会社規模を広大していく。 1586年に豊臣との包括的業務提携により豊臣との資本提携をする。 小田原の事件の後、関東支社長に任じられ東京へ移転移転する。移転に伴い豊臣から破格の 条件を貰う形で時価総額250万石の独立系企業としては最大の会社となる。 また、関東地方には、徳川が自社の連結子会社を多数有しており、他の地域と違い豊臣の子会社が かなり少なくなっいるのが関東の最大の特徴である。 |
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株式会社結城 代表者 結城秀康 徳川家康の子供でありながら、秀吉の養子となり、その後家康が関東へ転勤すると供に宇都宮へ 豊臣の子会社の支店長兼任で新設。 関東では珍しい豊臣系の連結子会社であるが、血縁関係などから財務上は豊臣系でありながらも、 本質は徳川系の企業ともいえる。 |
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関東の主な徳川の連結子会社 松平、本田、井伊、榊原、酒井等。 | |||||
北陸、東海、信州方面 ※社名の()は豊臣の資本比率 | |||||
主な会社 前田(70%)豊臣系 丹羽(90%)豊臣系 山内(90%)豊臣系 中村(90%) 豊臣系 堀尾(90%)豊臣系 浅野(90%)豊臣系 真田(50%)独立系 池田(90%)豊臣系 |
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株式会社前田加賀友禅 代表者 前田利家 豊臣ホールディングス代表権をもつ専務取締役北陸支社長兼任豊臣ホールディングス内での人望はNO1。 秀吉との信頼関係も厚く、豊臣系の子会社としてはかなり大きく時価総額は100万石を超える。 秀吉亡き後、後を追うように翌年に没するのが大変悔やまれた人物である。 |
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株式会社浅野 代表者は浅野長政。 父親は豊臣ホールディングスの取締役総務部長兼任。秀吉の子飼いであり、 豊臣ホールディングスの子会社。 |
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株式会社福島 秀吉子飼い。抜群の営業力にて秀吉のから尾張支店長兼任で子会社を任せられる。 | |||||
株式会社丹羽 元々は織田系からの独立系であり、豊臣と同等に列する企業であったが、先代が豊臣と 包括的業務提携を行いその後、越前方面にて時価総額100万石を有する大企業になったが、 先代が死亡後に経営が悪化。倒産する形となったが、豊臣からの支援を受け豊臣系の子会社 として小松にて支店長兼任にて経営再開する。 |
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※この方面には多数の豊臣系の企業が大半をしめている。 | |||||
関西方面 ※社名の()は豊臣の資本比率 | |||||
主な会社 宇喜多(90)豊臣系 増田(90%)豊臣系 石田(90%)豊臣系 長束(90%)豊臣系 前田(90%)豊臣系 |
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豊臣ホールディングスの本拠。 勿論、日本の中心となるこの地域には大阪城本社ビルを中心に大半が豊臣直営 周りには独立系企業もなく、本社取締役の奉行のうちの4名の子会社もこの地域にある。 |
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株式会社宇喜多きび団子 代表者 宇喜多秀家 豊臣HDの常務取締役と中国地方の一番西側の岡山支社長を兼任する。 幼少の頃に秀吉の養子となり、豊臣HDの中で異例の出世をしていく事になる。 |
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株式会社石田司法書士事務所 代表者 石田三成 豊臣近江佐和山支店長兼任。 豊臣ホールディングス内では社長室長として秀吉の信頼も厚く仕事を行うが代表者石田三成を ねたむものも多く、政敵がかなりいたようである。また、兄も豊臣ホールディングスで要職について 堺奉行等を歴任している。 近江には自信の身内の連結子会社が有り、連結時価総額は30万石を超える。 豊臣本社の膝元でこれほどの時価総額を有する人間と考えると秀吉からの信頼の厚さが改めて伺える。 |
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中国、四国方面 ※社名の()は豊臣の資本比率 | |||||
主な会社 毛利本社(20%)独立系 長曾我部(40%)独立系 吉川(30%)毛利系 安国寺(50%)豊臣、毛利系 蜂須賀(90%)豊臣系 山口毛利(40%)毛利系 |
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株式会社毛利HD 代表者 毛利輝元 豊臣ホールディングス専務取締役、中国支社長兼任 中国地方最大の大企業。本社は広島にあり、連結子会社は中国全域から北九州、四国にまで及ぶ。 時価総額も独立系企業としては、徳川に続く規模であり、連結時価総額は推定で200万石をゆうに 超えていたと思われる。 |
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中国での主な毛利の連結子会社 吉川、安国寺、山口毛利 | |||||
株式会社 長曾我部海産 代表者 長曾我部盛親 先代が敵対的TOBで会社規模を拡大していき、一時は四国全域を傘下に納める程の大企業に なったが、豊臣の四国進出により、経営が悪化。豊臣からの支援を受けて、地元高知にて経営 再建を行う。 |
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九州方面 ※社名の()は豊臣の資本比率 | |||||
主な会社 黒田(90)豊臣系 小早川(50%)豊臣、毛利系 加藤(90%)豊臣系 小西(90%)豊臣系 鍋島(90%)豊臣系 立花(50%)独立系 寺沢(30%)独立系 島津(30%)独立系 |
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株式会社黒田海運 先代は秀吉の参謀。豊臣HDの功労者であるが晩年は冷遇される形と成。 | |||||
株式会社小早川商会 代表者の秀秋は秀吉の養子。毛利HDの連結子会社であるが、秀秋が代表者となり豊臣からの 資本もはいるかたちとなり、豊臣、毛利系の企業となる。 |
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株式会社小西会計事務所 代表者の小西行長は堺奉行等を歴任して、豊臣HDでの功労も大きい。 算術に長けており加藤清正と供に南北に分かれて、熊本支店長となる。 |
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株式会社島津製作所 四国の長曾我部動揺に敵対的TOBにて九州を制覇出来る手前まで会社規模を 拡大するが豊臣HDの九州進出により、徐々に経営が悪化する。経営破綻するよりも、自社の存続を 優先させて、本社の鹿児島に戻り、豊臣との提携に応じる。時価総額は九州最大の77万石 |